ホントの自分を生きる、そして家族と自由で幸せになる ~沖縄移住生活~

家族で沖縄移住を機に日々人の心や思考を学んで自分を変えて家族を幸せにする日々を綴っています。

頭真っ白

外出中、駐車場にて。

 

「今日ここは駐車できないんです。」

「駐車スペースが別に用意してあるのであちらへ移動して下さい。」

 

そう言われた自分は「そうですか、分かりました。」と答えた。

 

何の違和感も感じなかった。

 

元々その場所で駐車するつもりはなかった。

そこで家族を降ろして自分は別の場所に行くからだ。

 

駐車場係の人は混乱しただろう。

説明を受けた人が「分かりました」と答えたのに

別の場所に駐車したからだ。

だったら最初から家族を降ろすだけだと言えば良かったワケだ。

 

係の人に話しかけられた途端頭が真っ白になり思考停止していた。

言われたことを機械的に「はい、分かりました」と答える怖さ。

気が付かないことの怖さ。

自分を殺していることの証拠を実感した。

 

だから自分を自分で取り戻すことが必要なんだ。

絵本

今日、児童館へ行った時

次女が絵本コーナーに行きたいと言い出した。

一冊選んで目の前に置いていった。

 

「うちのパパって かっこいい」

 

 

「これ読むん?」って聞いても

読んで欲しいわけでもなさそう。

ただ絵本コーナーを走り回ってた次女。

 

気を使わせてしまたぁ。

シャキッとせんとね!

ガトーショコラ

昨夜長女がガトーショコラを焼いてくれました。

じっくり冷蔵庫で一晩。

丁度良いしっとり感、くちどけ。

美味しい!

それを聞いた長女が

「だからスイーツ作りはやめられなんだよ、美味しいって言ってもらえるから」

人が喜んでくれるから作るっていう心を持った人で誇りに思う。

 

分からないのは相手の気持ちだけではない ~アレキシサイミア~

アスペルガーは相手の意図や気持ちをくみとれない。

そこで自分は相手の気持ちを分かりたいと日々学んでいる。

 

今朝、妻が自分の異常な状況を話してくれた。

自分が理解しやすいようにかみ砕きながら。

腑に落ちたのは自分自身の気持ち、感情もくみ取らない自分であるということ。

傍からみていたら怒るだろうと思えるような状況も

ひょうひょうとした表情でいられる。

思い返せば幼い頃からそうだった。

全て客観的に考えれば分かる。

自分が相手から暴力を受けている状況、

自分が親からひどい言葉をかけられている状況、

大小関係なく「嫌な気持ち」がそこにはあった。

ただ自分は親からの洗脳によりそこで止まるようになっている。

もちろんそれを受け入れたのは自分であることは無視してはいけない。

感情の小さな火は必ず灯っている。

例に挙げたことがネガティブなものばかりだけど、

楽しいなどポジティブなものもあるだろう。

相手の気持ちも自分の気持ちもどちらも分かるってことは

どっちが先ってことじゃない。

同時進行で学ぼう。

抹茶パフェ

今日の午後に長女が抹茶パフェを作ってくれた。

懐かしい。

我が家はこんな感じのパフェを食べに行ってた。

沖縄にはこういうのが無いので

自作したワケです。

4才の次女はバニラアイスとフルーツを

自分でトッピングして満足そうに食べてました。

発起人の長女に感謝。

 

餃子

普段晩御飯の餃子はパパが担当しているが

今日は妻も手伝ってくれた。

そこで気づいた。

自分の巻く餃子の餡は少ない。

実は元々妻は実家で餃子を巻いていた。

それを引き継ぐ形で我が家でも餃子を巻くようになって

いつしかパパが担当になっていた。

何年も時間を経て当たり前になっていたこの餡の量。

実は子供たちも気づいていたらしい。

改めて妻が包んだ餃子を焼いて食べたら旨かった。

自分が巻いていた餃子は皮ばかり食べているような感じに思えた。

元々こうだったくらいに思っていたけど

実は自分が巻きやすいという理由で餡の量を減らしていたのだ。

元の量に戻せて家族も満足していました。

 

お出かけ

昨日、久しぶりにモールへ家族とお出かけ。

買い出しが目的だったものが家族みんなでお出かけできた。

せっかくなんでみんなでランチ。

テラス席で食べる辛いカレーって良い。

だんだん熱くなる体をひんやりした風が涼しくしてくれる。

美味しいし、心地よいし、楽しい。

 

しかしこのナンでかい。

家族で分けても食べきれなかったぁ。